セブノーマル大学 教授         豊島モトボサツハルン氏

20141022_豊島様

月間20万PVを超える「モトボサツ 勝手にブログ」という人気ブログで2013年から毎日フィリピン情報を発信し続ける豊島モトボサツ氏。ゼネコン、レーサー、キャバクラ経営、老人ホーム経営、キックボクサーと異色の経歴を経て、たどり着いたセブでは大学の教授をされている。何が彼の人生を波瀾万丈にしたのか、不安定なこれからを生き抜くヒントを伺った。
『モトボサツ 勝手にブログ セブ島編』はこちら

ご経歴

1980年 長崎県長崎市生まれ
1992年 中央大学法学部卒業
1992年 ゼネコン入社
1997年 レーシングにハマる。キャバクラの経営開始
2001年 ゼネコン退職。
2005年 離婚、九州福岡の特別養護老人ホームの経営。
キックボクシング開始。
2006年 キック戦績試合10戦4勝2敗4引き分け
2007年 フィリピン・セブのジャングルにいきなり移住
2010年 セブにて語学学校の居候スタッフとして勤務
2011年 マニラにて語学学校のスタッフとして勤務
2012年 セブにて医療通訳業務。
2013年 日本保険代理店セブ支店駐在員。
英語で学べるフィリピン文化経済「モトボサツセミナー」開始
カナダサンライフファイナンスの公式代理店ライセンス取得。
セブノーマル大学教授に就任


事業内容

・セブノーマル大学の教授として日本語講座を担当
・保険会社カナダサンライフファイナンスの公式代理店
・医療及びファイナンシャルコンサルタント

年365枚の答案を書く修行に明け暮れた学生時代

 

-大学生活をどう過ごされていましたか
弁護士を目指して大学に入学したので、4年間ほとんど司法試験の勉強しかしなかったですね。八王子の田舎で何もなかったので楽しいこともほとんどなくて、ピュアに修行していました。実家に帰った時は痩せて帰ったので、親には一瞬誰か分らなかったと心配されましたけどね笑。

司法試験の論文は早いうちからトレーニングした方がいいよ、と言われていたので毎日毎日、年365枚、教授なり先輩なりの文章をマネして自分で答案書いていましたね。その経験が序論・本論・結論という書き方を体に染みこませてくれたみたいで、今でもブログの文章を書くときに役立っています。

 

-ブログはとても人気ですよね。私も情報源として活用させていただいています。
ブログの内容は八方美人なんですよ。立ち上げ当初からの読者さんが、「嫌味がない、中立だよね」って言ってくれる。私はセブをベタ褒めもしなければ、大嫌いとも言わない。大変なことがあるというのもちゃんと伝えます。それもあってか、ありがたいことに月間で20万ページビューくらいアクセスいただけるようになりました。

 

-司法試験の勉強は、どうして誘惑に負けずモチベーションを保てたのですか?
誘惑は意外となかったんですよ。あんまり人と騒ぐのも得意じゃないし、人がやっていることや流行には乗りたくないと思っていました。今だとiPhoneじゃなくてアンドロイドを使うみたいな感じです笑

あとは民法で有名な教授の初回講義で「あなたの考えが答えです。だからそれを立証するために勉強してくれ」と言われたことが衝撃だったんです。自分の気持ちや考えが正しいという事なら頑張って勉強して立証できるという事がモチベーションになっていました。

 

お金のために始めたキャバクラ経営と、すべて失ってから始めた老人ホーム経営

 

-大学卒業後について聞かせてください

ゼネコンで働きながら車のレースにハマってA級ライセンスをとりました。レーサーをやっているとお金がなくなって、キャバクラの経営を始めました。27歳まではゼネコン兼レーサーをしていて、31歳でゼネコンを辞めました。

 

-稼ぐためにキャバクラを経営されていたんですね。
27歳~35歳までは守銭奴で、お金のために生きていましたね。転機は35歳の時、一番信頼していた妻に裏切られて浮気されたんですよ。
「絶対」というのはありえないはずなんですが、嫁に裏切られるということの可能性はゼロだと思っていました。ありえないと思っていたことが起こってしまったから、全然現実を受け入れられなくて。一ヶ月で15キロくらい痩せて、とても苦しみました。やっていた商売も辞めてすべて整理して全部ゼロにして、その時にタイミングよく老人ホームの経営の話をいただいたんですよ。そこから新しい人生が始まりました。

 

-人生がどのように変わったのですか?
それまでは、仕事はお金のため、休みは家族や自分のためとオンとオフを分けていたんですが、守るべき人がいなくなったこともあって、すべてがごちゃまぜになりました。愛情の持っていき場がなくなったことで個人の人生と仕事の境がなくなりました。全部が人生になったんです。人と飲んでいるときも仕事しているときの気持ちもすべて同じ。全部真剣に、全部人生になりました。

 

-環境も心構えも大きく変えられたんですね。
お金や物質、地位等が幸せの証だと思い続けて・・・それが普通って言えば普通なんでしょうけど笑。

お寺の和尚さんの「手放しなさい」という助言のまま生きる上で必要のない物を全部捨ててみたら新しい人生感が見えてきました。あと、お金の使い方も変わってきた感じですね。

 

-キックボクシングはどうして始められたんですか?
おばあちゃんのアイドルであるということしか生きがいがなかったから強くなろうと考えていました。それで、朝5時に起きての走り込みや、キックボクシングを始めました。おばあちゃんのための修行の域に留まらなくなってきて、「どこまで強くなれるんだろう」と全く別の方向に向かうようになってしまいました。35歳で試合にも出ました。ふつうに考えたら自殺行為ですね笑。そして自分の中でキックボクサーとしての頂点の頃にセブに来ることになりました。

 

ワイルドなフィリピン人彼女の影響で修行のためにセブへ

 

-どうしてセブに来ることにしたのですか?
老人ホームでお年寄りの肩もみを1日2時間半年間続けた頃左手の握力が80Kgを超えていました。この無駄に強い握力を実用化しなければと思い、キックボクシングジムへ入門しました。どんどんその世界にのめり込んで行って、体脂肪はついに8%代。1年前までメタボオヤジだった私の腹筋は見事にシックスパック。肉体も人生も全く別方向へ向かい始めました。どんどん昔のダメ自分の面影も無くなって行きました。きっと家族に去られてボロボロに人生彷徨った打たれ弱かった自分にサヨナラしたかったんですよ。

当時いろいろあって、近所に住んでたフィリピン人女性と付き合うようになったんですね。その辺の詳しい話はセブへ来られた方にだけコッソリお話したいです。ここで書けない事とか有るし・・・年甲斐も無く無駄に?強くなってしまった自分の舞台をフィリピンというワイルドな環境で試してみたい。車の衝突実験みたいな感じ笑。そして最後のスパーリングをこなし、家財道具一式を友達や知り合いにあげました。最後に居た博多区役所で住民票を抜きました。海外転出届けってやつですね。

そして颯爽とフィリピンへ。持ってきたのはスーツケース1つと思い出だけ。今まで頑張った学歴、職歴、人間関係を全部捨ててフィリピンに向う事が最初は恐かったのですが、やるだけやったという妙な自信が背中を押してくれました。

 

-行くことを決めてからどのような準備をされましたか?
タガログ語の勉強とキックボクシングの強化トレーニングをしました。目的地のセブ島ってビサヤ語という言葉なんですが、勘違いしてマニラのタガログ語を一生懸命やってました笑。ぜひ”モトボサツ勝手にブログセブ島編 知らな過ぎた男”ってググって下さい。ブログに全部詳細が書いてあります。

あと、キック。トレーナーに危険なところに行くから徹底的に鍛えてくれといってスパーリングの量を2倍にしてもらいましたよ笑。完全Mでしょ?鬼トレーナーから容赦のない罵声を浴びて汗か涙か分らない液体にいつもまみれてました。
人生の折り返し地点とっくに超えた38歳でした・・・

 

-最初セブで何をされていたんですか?
おお、良い質問ですね笑。フィリピン人彼女の建てた家ってのがジャングルのような所で、村で一番と言われた謎の身体能力を生かし椰子の実を取る係をしていました。それから不登校の小学生と一緒に小学校へ行く。私が一緒に行くと面白がって学校へ行くんですよ。午前中だけ小学生と一緒に授業を受けました。私のビサヤ語のベースはジャングル小学校仕込みです笑。サリサリストアというミニミニコンビニを作りました。午後からはその店番です。ジャングル入りして2年後、遂に山を下りる時がやってきました。

 

-その後のフィリピンでの生活は?
セブとマニラでそれぞれ1年程語学学校の住込みスタッフをしていました。日本、韓国、中国、香港、タイからの多くの留学生と話が出来たのは非常に貴重な経験でした。そして、縁あって医療アシスタント通訳業務を経験し、保険、金融関係へ。その辺の詳細は書くと長くなるので、セブへ来られたら具体的にお話ししますよ笑。

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