ユナイテッド・リグロース株式会社    取締役 鈴木光貴氏

20141022_鈴木光貴様

数々のメディアにも取り上げられ、「オトナ留学MBA」という英語留学の一つのブランドを生み出しながら、コワーキングスペース事業などシナジーの高い事業をフィリピン・セブで展開している若手起業家の鈴木氏。海外という舞台で信頼しあえる仲間と共に創業し、新しくて面白いビジネスを生み続ける秘訣はどこにあるのか。20代をどう過ごしたか、今後実現していきたいことは何なのかを伺った。
鈴木光貴氏ブログ『フィリピン起業家の日々

ご経歴

1982年 生まれ
2005年 東急リバブル(株)にて、不動産流動化・証券化業務、
富裕層向け不動産の投資・売買仲介業務を担当。
2008年 地方特化型投資銀行(株)ドーガン・アドバイザーズおよび
(株)ドーガン・インベストメンツにて、M&Aサービス、
投資ファンドの運営、地方の中小企業の経営支援や金融支援に従事。
ホテルニューオータニ熊本など投資先数社の取締役・執行役員を歴任。
2012年 退職後、同社アライアンスパートナーに就任。
その後、シンガポール、タイ、インドネシア、中国等のアジア各国を渡る。
2012年8月 フィリピン留学(セブ留学)を経験。
2012年10月 呉宗樹(オジョンス)氏、渡辺和喜氏の二人の仲間と共に
ユナイテッド・リグロース(株)を創業。


事業内容


・社会人限定の語学学校、オトナ留学「MBA」の経営
・セブ島初のコワーキングスペース「Ajito」を運営
・海外販路開拓事業
・BPO(Business Process Outsourcing)事業
・似顔絵イラスト事業

再会した同期からの突然の誘い

 

-学生時代はどのように過ごされていましたか?
今の優秀な大学生みたいにインターンで就業訓練したり、英語留学をしている方々と比較したら、恥ずかしくて言えないような学生時代を過ごしてました(笑)。唯一ここで話せるとしたら大学3年生の時に宅建の資格を取ったことぐらいでしょうか。一番受かりやすい国家資格と言われていたので受けてみた程度です。合格するためには300時間の勉強が必要と書いてあったので、単純計算で1日10時間勉強すれば1ヶ月で取れる。そう思ってその1ヶ月は一切遊ばずにひたすら勉強していた記憶があります。学生時代に机に向かって勉強したのもその1ヶ月だけだったかもしれません(笑)

 

-新卒で入社した会社での過ごし方をお教えください
就職活動も「宅建を持ってるから不動産会社」って安易に考えて、不動産会社に入社しました。入社後の1ヶ月間は研修施設でビジネスマナーや不動産業務などを学ぶ期間があったのですが、そこで衝撃を受けたのが、同期入社した仲間たちが皆優秀だったこと。と言うより自分自身の知識の無さに驚きましたね。なので同期と同じことをやっていても差が埋まらないと思って、研修が終わった後に皆が飲み会などしている中、一人研修室で新聞記事の切り抜きしてコメント書いたり、一人壁に向かってセールストークのロープレやったりと必死でしたね。

努力の甲斐あってか、新卒120名の中で私1人だけ本社配属されました。当時は史上初の”新卒本社配属”って事で皆からチヤホヤされましたが一言で言うと”大変”でした。本社の中でも新規事業を立ち上げる部署であり、今では当たり前ですが、不動産証券化や流動化と言った業界の中でも新しい専門知識が問われ、研修時代に学んだことが一切使えませんでした。その時も必死でしたね。たくさんの本を買い漁って勉強しました。

その勉強や経験する過程で事業ファンドに強い関心を持ち始めて、後に転職するキッカケともなりました。

 

-起業を意識し始めたのはいつ頃からですか?
新規事業では幅広い知識が問われたので不動産業界に限らず、多方面にもアンテナを張っていたのですが、当時メディアを賑わせていたライブドアや楽天、サイバーエージェントのような会社を知って、単純に憧れましたよね。憧れたなら自分もそれになればいいと思って、その時一度起業を考えましたね。

同期で気の合う仲間を見つけて、どんなビジネスがいいかを色々話し合ってましたね。ただ直面するのは知識と経験、人脈、資金の無さ。そして起業はあくまで手段であるので、まずは自分が何をしたいのかを知るためにも、様々な業界を見れ、経営にも携われる仕事をしようと決め、起業ではなく事業ファンドに転職することにしました。20代の内に答えを見つけて、30歳で起業しようと人生プランを立てました。

 

-起業に向けて具体的にどう動いたのかお聞かせください
事業ファンド会社では経営や金融の深い所まで学べ、まもなく30歳って時に現在の弊社代表の呉と同期の結婚式で再会しました。不動産会社時代は大して話したこともなかったですが、起業の人生プランを話すと彼も同じ考えを持っていたらしく、それなら一緒にやろうよ。って事になりました。それぞれ別々の会社に所属してましたから、毎朝6時にSkypeでお互いの想いやビジネスプランを議論し合ってました。

 

日本人を世界という舞台に導くビジネス

 

-フィリピン留学事業との出会いは何だったんですか?
ビジネスプランで色々議論し合う中、「やっぱり今成長しているアジアは外せないね。」って話になりました。ただ二人共もネックだったのが、英語が全く話せない”でした(笑)。そこで呉の提案で短期でフィリピン留学に行くことになりました。もう一人の創業メンバーである渡辺はファンド会社の同僚でしたが、渡辺も海外志向があったのでフィリピン留学に誘いました。

実際のビジネスプランは、英語を学んだ後に色んな国に渡ってから決める。って事でしたが、3人共フィリピン留学を経験することで、徹底したマンツーマン授業による自身の英語力の伸びやフィリピン人講師のポテンシャルの高さ、思ったより社会人の方の留学が多いこと、そして有り余る既存学校のカリキュラムや環境の改善点に目を付け、「まずは自分たちの原体験があるフィリピン留学事業でスタート」と言うことになりました。

 

-英語以外に海外で生きていくために必要な武器とは?
マネジメント能力ですね。マネジメントとは雇って管理することだけではないと考えています。1対1のコミュニケーションも含みます。目の前の相手が何を求めていて何をしようとしているのかを考えて、その人にとってベストなものを提案していく。人によっては交渉力と呼ぶかもしれません。目の前の相手を偏見など一切なしで受け入れることです。マネジメント能力=人間力。英語を話せなくても文化が異なっていても人間力・マネジメント能力があれば海外で成功している方もいます。

 

-その人間力はどうやって鍛えられると思いますか?
もちろん僕も今も勉強中なのですが、自分が得するのではなくて相手が得することが何かを常に考えるようにしています。最終的に自分の得を考えることもあるけれども、先に相手が得することを考えるようにすると結果は大きく違ってくるのかなと。今は英語の勉強も”自分のため”にすると言うよりは、フィリピン講師達に伝えたいこと、失礼のない英語を話したいと言った”相手のため”に学んでいます。その方が英語力の伸びがいいんです。

 

-なぜ辛い状況の中で折れずにここまで来れたのですか?
私がここまで海外で事業をやってこれた象徴的な理由は、仲間がいたことです。仲間がいることで折れることがなかった。経営者は孤独というイメージがあるんだけど、私たちは3人で創業したので合議で話すことができます。3人いるから地震や台風のような予想外の事態であっても協力して乗り越えることができました。一人で海外に飛び出して起業されている方は本当にすごいなと思いますよね。

英語留学自体はまだまだ加熱していますが、今後大手資本が出てきたり更に安く学べる国が出てくる可能性があって対策をとらないといけない。それでも信頼している仲間がいることは何よりも心強いですし、乗り越えていけるだろうと思います。

また自分たちが会社をアジアでやって恰好いいだろうとかは一切思っていなくて、自分たちがトライ&エラーを繰り返すことでほかの人が楽しそうだな、いいな、チャレンジしてみようというきっかけを創ることができればと考えています。やっていることを見て楽しそうだと言ってくれている人もいるので、頑張ろうと思い続けられますね。

アジアの熱量を五感で感じるために

 

-心の支えとなっている座右の銘はありますか?
会社を創ったころから「感謝はすべての感情を凌駕する」を自分の理念としています。会社を創ったときに改めて、自分の理念、信念を振り返ったときに出てきたんです。すべて感謝だったな、と。この言葉には二つの意味があります。

一つ目は、失敗したときにこそ感謝の気持ちを持ってありがたいことだなと感じるということ。生徒さんがクレームをくれるのは、カリキュラムを変えるきっかけをくれたという意味でまさに感謝だなと思います。悲しみや怒りなどでなく感謝に変えた瞬間に次のステップが見えてきます。一つの超えるべき壁のようなものだから、困難が来てくれてありがとう、という思いしかないですね。落ち込んでいても仕方ないんです。

二つ目は、成功したときこそまさに感謝をすることが大事だな思います。傲慢になりがちな時にこそ感謝する必要があります。自分が成功した経営者だなんて全く思っていません。仲間がいたからこうやって海外でビジネスができている。自分だけの力であるはずがないんです。彼らがいてくれてありがとうと思いますね。

 

-歴史上の人物含めて最も尊敬する人は誰ですか?
スティーブ・ジョブズかな。世の中をよくしたいということをとことん追求した人ですから。最近、幸せにしたい人の数がおおければ多いほど大きな事業を成せる経営者になれると思うようになりました。たとえば、奥さんや子供を幸せにしたいと思えばそれだけ頑張って仕事ができるだろうし、部下を持つと部下が幸せになれるように、社長になると会社の全員が幸せになれるように頑張りますよね。地域のために、国のために、世界のために、とどんどん目指すところが大きくなるにつれて見える世界が変わるだろうし、頑張り方も変わってくるんだと思います。

 

-今後どんなことをしていきたいですか?
昨年7月くらいに原体験を得るためにシンガポールやアジアを回りました。来年もミャンマーやラオスなどこれから回ろうと思っています。元々設立時に私たちは日本人を海外に出すきっかけになろうという決めていたので、海外各地でもっと事業をしないといけない。翌年には海外にもう1社だそうとしています。業界業種は未定。ただその国・人材が最も輝くビジネスをしたい。フィリピンであれば英語力、ベトナムであればIT、インドネシアでは人口数などですね。

 

-若者に向けてのメッセージ
勇気を持って世界に一歩踏み出しましょう。特に若いうちに出るほうが感受性も豊かだしやり直しも効きますし、バイタリティーもあります。海外に出て、一歩出たことによって見える世界が間違いなく変わります。改めて日本の和の文化の良さや、住んでいる地域の良さに気付いたりします。そのときに感じたものを信じて何かやってみましょう。そこから海外に向けてのサービスをつくったりとか、仲間を集めて何かをするのもいい。一歩出るというきっかけをつくって何かしてほしいなと思います。アジアの熱量を五感で感じるためには動くしかないと思います。

まだ挑戦していない人は、自分なんかうまくいかないと思っているかもしれません。ですが、僕たち3人は、「もともと平凡なサラリーマンだった」でした。金持ちだったわけではないし資産家の息子でもなく帰国子女でもなく、ふつうに大学を卒業してサラリーマンになって数年働いて海外に出てここまでやってきました。

何でもない人が海外にでてきてここまでできたという事例があるんです。だからその一歩を踏み出してほしいと思います。

 

<編集後記>
コワーキングスペース「Ajito」を突然訪問することになった。アポをいただいていた日の数日前、Ajitoに何度か行ったことがあるという日本人とホテルのカフェで知り合ったことがきっかけだった。彼の誘いを受け、バックパックを背負ったまま待ち合わせ場所の確認も含めて一度伺ってみることにした。

突然の訪問だったにも関わらず、鈴木氏はメッセージのやりとりだけだった私を快く迎えてくれた。スタッフと丁寧に接していらっしゃっる姿を見て、まさに「マネジメント」を実践されているのだと感じた。

「敢えて面白く見せるような発信をしているんです。若くても海外で活躍できるという事例を見せたいので。」ブログやfacebookでの発信に加え、積極的なメディア露出の意図をこう説明された鈴木氏。設立3年目を迎えた注目の若手起業家集団のカッコいい背中。少しでも早く彼らに追いつけるように、未知の世界に積極的に触れていこうと思いを新たにした。

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